【ブックレビュー】『なぜ働いていると本が読めないのか』

ブックレビュー

こんにちは、AZU(@azulog_jh)です!

このブログは、文房具と手帳が好きな30代元事務職OLAZU香港生活で出会うあれこれを紹介するブログです。海外生活がこれから始まる方、移住の準備をしている方の参考になる情報・香港生活便利情報・文房具事情などを発信しています。

最近、久しぶりに本をじっくり読むことができています。

子どもの頃から本の虫タイプの人間でしたが、社会人になって以降仕事に熱中していて、すっかり読書から遠ざかっていました。前職を辞め、現在香港の街で無職・専業主婦をしている今、少しずつ読書量がもどってきている感覚です。

そして、最近読んだのはこの本。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

この本のレビューをしてみたいと思います!

書籍情報

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書籍タイトル『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
著者三宅香帆
出版社集英社
出版年2024年4月
ページ数230ページ

★Kindleで読むならこちら→『なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)

この本を読もうと思ったきっかけ

タイトルをひとめ見て思ったのが「わかる!!そうなんだわ!!」という感想でした。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

書籍タイトルとまったく同じ感覚・同じ悩みを持っていました。
それと同時に、ぼんやりながら、私なりの答えを持っていました。
そして、私の答えと著者の答え、なんとなく似ている気がするぞ?と感じたのです。

そこで、私のなかにあるぼんやりとした答えを明文化し、各種情報で補完してくれることを期待し、読んでみることにしました!

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いに、明確な回答と課題解決策を提唱する1冊

この書籍で著者は、社会情勢や会社組織論を交えながら労働読書の2つの関係性を解説し、現代の生活の中から読書が追いやられていく構図について、詳細に解説しています。

そしてこの解説は、私の期待120%応えてくれるものでした!

著者が語る“現代の労働観”を、正にそっくりそのままインストールして働いていた私にとって、労働史が語る事実は驚くことばかりでした。

いままで「日本の働き方」として当たり前だと思って労働観とは、実はめちゃくちゃ最近出来上がったもので、新しい概念なのか!と。

もちろん、だからといって現代の労働観を否定するわけではないのです。
現代の労働観に基づいてめいっぱい働き、楽しかったのも事実!

労働観/働き方を客観的に見つめる材料・情報がつまっている

この本のキーワードは労働読書

ですが、おそらく多くの読者が両者のうち「読書」の部分にひかれて手をとったのではないでしょうか。

かくいう私もそのひとりです。

読書というキーワードにひっかかりを覚えて読み始めましたが、胸を打ち、考えさせられたのはむしろ労働に関する解説の部分でした。

働くことに関して”当然そうだろう”と思っていたことが、実はたった数年のうちに作られた概念で、「昔からそうだった」「日本の労働はこう」だなんて断言できるものでは全くなかったのです。

これって実はすごく重要な気づきのような気がしていて、現在はたらく皆さんにも、このことを知ってほしい!と思います。

知っておくことで、身を守ることができる知識だな、と。

前職で働き方改革に携わったこともありましたが、なかなか上手くすすめられず四苦八苦していました。真の意味で働き方改革を成功させるためには、ここで言及されるような「日本式労働」への理解が必要なのかもしれません。

「スマホいじる時間はあるのに、本は読めないの?」構文は、生活のあらゆるところにあらわれる

よくあるセリフ
よくあるセリフ

スマホいじる時間はあるのに、本は読めないの!?

この現象、著者は「文脈」という言葉を用いて解説しています。

そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆,p234

この表現、私にはとってもしっくりきて納得感がありました。

この本を読む前に抱いていた、私なりの答え。

AZUの答え
AZUの答え

自分のことだけでも忙しいのに、他人の心の機微まで受け止めてられるかい!

という考えと一致するように感じます。

「文脈」「ノイズ」、そしで「余裕のなさ」から生まれる摩擦。

冒頭にあげた「スマホいじる時間はあるのに、〇〇はできないの?!」は、生活のあらゆるところにあらわれる現象なのではないでしょうか。

  • スマホいじる時間はあるのに、子どものねかしつけはできないの!?
  • スマホいじる時間はあるのに、予約の電話一本掛けられないの!?
  • スマホいじる時間はあるのに、お茶をつくることはできないの?!

なんてね。

余談ですが、たまに耳にするいきすぎたクレームなども、このような自分ではない=他者の文脈を上手くキャッチできない人が増えていることに要因があるのかも、とも思ったり。

例えば、自分視点では「街にいる贅察官」は「街の人を守る仕事をしている公務員」ですが…。

コンビニでジュースを買っている警察官がいたとして、

もしかして、それはサボってコーラを飲もうとしている贅察官ではなく
お昼休憩中にランチを買いに来ていたのかもしれないし、
熱中症で倒れた市民のために、冷たくてミネラル補給できる飲み物を買いに来ていただけかもしれない。

他者の文脈を完全に理解するまでいかなくとも、自分から見えているもの以外の文脈があることを受け入れれば、ここで「相手を罰しなければ!」という行動にはならないのではないかしら。

(そもそも、罰する必要はないものですし)

読書だけでなく、家事や子育て、地域活動への参加、趣味へのとりくみ…すべてにおいて同じ構図があるように思います。

その構図を客視的に捉え、他の文脈を受け入れる余裕をなくしていることを自覚し、受け入れる。

それがこの摩擦を乗り越えるはじめの一歩だと思いました。

まとめ:こんな人に読んでほしい!!

著者が提唱する「働いていると本が読めない」ことへの解決策は、読書サイドの変革ではなく労働サイドの変革によるものでした。

それを読んだ時、私は「あれ!?そっち!?」と思ってしまいました。

拮抗する2つの事象を考える時、重きをおいていない方に変化を求めても不思議ではないですよね。それなのに、自身を読書人だと自覚しながら私は、どうやら読書サイドに変化を求めていたようなのです。

更に言えば、この本を読んでいる今、私はどこにも所属をせず、無職の状態です。
そんな私でも、労働スタイルは変えず、読書法の側に変化を求めるなんて…

現代の労働観って、どれだけ人に強く根付いているのでしょう!

そのことに気がつけたのも、この本を読んで良かったことのひとつです。

この本、働き方改革にとりくむ人だけでなく、“働き方”を作っている会社のえらい人にも読んでほしいなあ。会社の働き方を作っている立場の人と平社員が一緒に読んで、働き方についてディスカッションするのはどうでしょう?

そして次、私が労働を再開した時には、読書しながら働けるように環境整備をしよう!と思えました。

この本を読む上で、ひとつ、注意があるとすると…

本書の中で定義される「ノイズ」(=読書習慣を阻害する、自分に直接的には関係のない周辺情報)がそこそこ多いです!笑

それこそが本書が語る読書の旨みではあるのですが、私は働いている時でしたら、この本を読み切ることが出来なかったかもしれません。もしくはすごく時間がかかっていたかもしれません!笑

そんな矛盾をはらんだ、稀有な一冊。

読書人として、(元)働きマンとして、おすすめします!


なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)

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